北海道東部の標茶町と厚岸町で、60頭以上の放牧牛を襲っているクマ、通称「OSO18(オソじゅうはち)」を撮影した初めてのカラー画像が公開されて正体が判明。
6月25日午前6時ごろ、標茶町の町有林で撮影されたという5枚のカラー画像が、立ち上がって背中を木にこすりつけたり、四つん這いで歩いたりするクマの姿が撮影されて、正体が判明されています。
また、ヒグマoso18(オソ18)の体長データーと行動範囲がわかりました。
ヒグマoso18(オソ18)のヘアトラップ
背中をこすりつけている木には、体毛を採取するための「ヘアトラップ」が巻かれ、クマが近づく習性のある薬剤が塗られているということです。
ここで採取された体毛のDNA鑑定から、このカラー画像のクマが「OSO18」と判明しました。
ヒグマ oso18(オソ18)の体長データーと行動範囲
釧路管内の標茶、厚岸両町で2019年から4年間にわたり放牧中の牛65頭を襲い、その肉を食らってきたヒグマの通称「oso18(オソ18)」。
体長は約2m・体重は230㎏~320㎏でオスのヒグマと言われています。
足幅は16㎝~17㎝で年齢は10歳と推定されています。
クマは本来、山の草木や木の実・昆虫を主食としており、専門家は「ここまで肉食化したクマは珍しい」と言ってます。
提供:NHKスペシャル OSO18
画像のように最初は標茶町オソツベシから始まり、厚岸町の山奥まで確認されています。
サケを捕食するヒグマ
かつて北海道土産の定番だった木彫りのクマように、ヒグマといえば秋に産卵のために川を遡上(そじょう)してきたサケを捕るイメージが強いと思います。
そうした光景は、人家のない世界自然遺産知床でしか見られません。
サケが遡上する道内の主な河川の河口部はいずれも市街地に囲まれ、クマが侵入しにくい場所です。
クマの生態に詳しい酪農学園大の佐藤喜和教授は「クマの主食は山の草木や木の実・昆虫で、かつては肉や魚を一度も口にしないで一生を終えるクマは珍しくなかった」と説明していました。
ヒグマ oso18(オソ18)がなぜ牛を襲うようになったのか
昔はサケを捕獲する以外草食動物でした。シカの増殖によりヒグマの食物に変化があったかもしれません。
ヒグマ oso18(オソ18)が牛を捕食した歴史
では、オソはなぜ牛を襲うようになったのか。まずはその捕食歴を簡単に振り返りたい。
1頭目は2019年7月16日、場所は名前の由来にもなった標茶町オソツベツの放牧地で、襲われた乳牛は内臓を食べられた状態で見つかりました。
その年の襲撃は9月中旬まで続いて、10カ所で合計28頭に上がりました。
2020年は7~9月の5カ所で合計5頭に減ったんですが、21年になると被害は厚岸町にも広がり、6~9月に両町で10カ所で合計24頭になりました。
2022年も7~8月にかけ両町で6カ所で合計8頭の被害が出ました。
標茶町では牛の被害額が2180万円に上り、大きな音を発する忌避装置の設置など防除対策費も2190万円かかったようです。
厚岸町も牛の被害が80万円、延長23キロの電気柵設置に1030万円を要したそうです。
オソは現場に残された体毛やふんの解析で10歳±2歳の雄グマだと分かっています。
標茶町と厚岸町は体毛などの痕跡に加え、自動撮影カメラの映像による個体識別情報も踏まえ、65頭はいずれもオソが襲ったとみています。
道が保存している1989年以降の記録では、年ごとのヒグマによる牛の被害頭数は2009年の24頭が最多だったが、上川管内上川町で19頭・オホーツク管内遠軽町で2頭など地域は分散しており、複数犯による襲撃のようです。
合計65頭の牛が被害にあっていました。
ヒグマ oso18(オソ18)がわなにかからない理由
標茶町と厚岸町は今年、NPO法人南知床・ヒグマ情報センター(根室管内標津町)や地元猟友会の協力を得て、両町内の7カ所に箱わなを設置したほか、秋にはクマが好むデントコーン畑の近くの4カ所に板を踏むとワイヤが締まって足を縛る「くくりわな」も仕掛けました。
くくりわなは一度、踏みつけられた形跡があったが、足を抜くのが早かったとみられ、いまだ捕獲は実現していません。
同センターの藤本靖理事長(61)はオソがわなに掛からない理由について、過去に箱わなで捕獲されそうになった経験があるため、警戒感が強いのではないかと推測しました。
標茶町が15カ所に設置している自動撮影カメラの映像でも、左の尻に箱わなの扉が閉まった際にできたとみられる傷痕が確認されてます。
ヒグマ oso18(オソ18)が巨大クマと認識されていたから
オソは、名前の由来にもなった前足の幅が平均的なクマの中でも最大級の18センチにおよぶ「巨大グマ」だと思われてきたが、そこには思わぬ盲点があったんです。
藤本理事長は「人が作り上げた虚像がオソの実像を見誤らせた」と言う。
どういう事かと言うと。
道や両町が11月15日に標茶町で開いた「オソ18捕獲対応推進本部会議」では、標茶町の宮沢匠林政係長(38)や藤本理事長が自動撮影カメラで撮影した新たな映像や足跡などから解析したオソの大きさを報告が有馬氏ら。
それによると、立った状態の身長は約225センチ、四つんばい状態の体高は約115センチで、体重は春から夏にかけて推定230キロ、冬眠に備えてデントコーンなどを大量に食べる秋は一気に同320キロまで太るとされました。
さらに前足の幅は実測で16~17センチと下方修正されました。
当初は前足と後ろ足の跡が重なったため、実際より大きく計測されたようです。
前足の幅は1歳以上の雄で通常は9.5~18センチとされ、体重も大きい個体なら秋に400キロ前後まで増えるとのことです。
これを踏まえると、オソは決して「巨大」ではなく、一般的な雄の成獣の大きさ(藤本理事長)とみるのが妥当だと言ってます。
オソは人知れず闇夜に隠れて行動する「忍者グマ」で、目撃情報も少ないとも見られてきています。
この点についても藤本理事長は「実際は日中も活動し、住民に目撃される機会は少なくなかったとみられる。巨大グマという虚像のせいでオソとは認知されず、その結果、目撃情報も極めて少なくなり、捕獲の遅れにつながった」と分析しました。
ヒグマ oso18(オソ18)なぜ牛を襲うようになったのか
酪農学園大の佐藤教授によると、クマのふんからシカの毛が頻繁にみつかるようになったのは2000年代以降だそうです。
道東を中心にシカの生息数が増加し、草木や木の実を食べ尽くされた結果、クマはほかに餌を求めるしかなくなり、次第にシカを襲うようになったということのようです。
ヒグマ oso18(オソ18)の肉食化の連鎖
こうした状況を踏まえ、佐藤教授は「クマも当初は道路や線路の近くではねられて死んだシカを食べていたのだと思う。襲うようになったのは肉を食べ慣れてからだろう」と分析しています。
さらにオソの食性についても「最初は放牧地で何らかの理由で死んでいる牛を見つけて食べ、味を占めてから襲うようになったとみるのが自然だ。
以前からシカを食べていたため、牛を食べる素地はあったのだと思う」と推測し、ほかのクマについても「シカ→牛」という肉食化がエスカレートして第2、第3のオソが生まれる可能性は十分にあるとみています。
ヒグマ oso18(オソ18)の被害対策はあるのか?
オソ捕獲の本部会議の足取り調査からオソは現在、標茶町のオソツベツや中久著呂・雷別・そして厚岸町西部の上尾幌などに生息している可能性が高いことが判明しました。
標茶町と厚岸町などは11月15日の会議で、これ以上の牛の被害を防ぐには、足跡を見つけやすく、見通しが良くて銃で狙いやすい積雪期にオソの居場所を特定し、冬眠前か冬眠明けに駆除するしかないという方針を決めたようです。
近隣住民にはオソは普通の大きさのクマだという「実像」を周知し、これまで「虚像」で見逃されてきたオソの目撃情報も積極的に収集することも確認しました。
藤本理事長は「住民に積極的に情報提供を呼び掛け、雪の残る3月末までには決着させたい」と意欲を示しました。
ただ、一抹の不安も残る。道東はシカの生息数が多い上、放牧酪農が盛んなため、地理的に道内のほかの地域より、「シカ→牛」というクマの肉食化の連鎖が起きやすいといえる。
来春までにオソの駆除が成功したとしても、地元関係者は次なるオソの誕生を防ぐ対策も求められるかもしれないようです。