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松浦武四郎がいなかったら北海道やアイヌは生まれてこなかった!

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松浦武四郎がどういう人物で、なんで北方地である蝦夷地(北海道)に
出向いたのか?そしてアイヌ民族とどのように関わって来たのか?
蝦夷地に関する多くの書物を出版したことで、北海道開拓の父としても
有名になりました。

松浦武四郎がいなかったら北海道やアイヌ民族は生まれてこなかった

 

 

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松浦武四郎の生い立ちと北海道とアイヌ民族との関係

 

北海道の名付け親として知られる三重県松阪市小野江町出身の探検家、
松浦武四郎は、松浦時春(桂介)の四男として誕生しました。

松浦武四郎の家は、旧伊勢街道の前で子供の頃から旅に出ることに思い
を馳せていました。

そして16歳で初めて家出同然で江戸へ旅に出る。その後も今でいう京都、
四国や九州まで冒険の旅が始まりました。

長崎で住職を務めていた時、北方地が危ないことを耳にした松浦武四郎
は、僧侶を辞めて蝦夷(北海道)へ向かいます。

のちに蝦夷地(北海道)には、約13年間に計6回の調査を行いました。

28歳で初めて蝦夷(北海道)へ渡り、蝦夷の自然とアイヌ文化に触れるこ
ととなりました。

蝦夷地(北海道)をくまなく歩き、樺太にも渡り、道路開墾の策や札幌
に統治の府を置くべきことを箱館奉行に申し出た。

明治新政府から蝦夷地開拓御用掛の仕事を任されて、地形・行程・距離
や歴史を調べ、人口・風俗や言い伝えを聞き取りながらさまざまな調査
を行う一方でアイヌ民族との交流が深まってきました。

 

松浦武四郎は、長いことアイヌ民族が尊重してきた鳥獣や魚介などの生
態系が、松前藩の家臣に主要地の漁労権を与えて米に代わる知行を割り
与える制度の発展によって、アイヌの精神と物質生活を支える存在から
「商いの動物」に変わっていく様子に嘆いていました。

それに加えてサハリンとの交流で得体の知らない伝染病や、遊郭や色町
などを通した感染と並んで、アイヌ民族に抵抗力のなかった梅毒を広げ
る原因の一つになり、アイヌ民族の人口が減っていく姿も克明に記録さ
れています。

地誌学者として・作家、出版者としても才能があり、調査記録をもとに
初航蝦夷日誌・再航蝦夷日誌・三航蝦夷などの日誌風の地誌や、石狩日
誌・唐太日誌・久摺日誌・後方羊蹄日誌・知床日誌などの大衆的な旅行
案内、蝦夷地の地図など151冊を出版されています。

 

蝦夷から北海道へ改名

蝦夷とは中央政権から見て異民族という意味で呼ばれていました。異民
族とはアイヌ民族を指してます。

幕末頃からロシアの日本進出が進み、国境問題への危機感が高まりまし
た。

そのため国境を明確にするため、江戸幕府や明治政府は名前を改めるこ
とになりました。

明治になってから松浦武四郎は、当時の新政府から蝦夷地に代わる名称
を考えるよう依頼されました。

 

六つの候補の中から「北加伊道」が取り上げられました。

北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味であり、武四郎の
アイヌ民族の人々への気持ちを込めた名称でした。

 

新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。

その土地各々の名前も、武四郎が蝦夷地を調査しているときにアイヌ民
族の人々から教えてもらった土地名が由来となっています。

 

 

晩年の松浦武四郎

 

晩年の松浦武四郎は骨董品の収集を趣味としました。全国各地をめぐり
ながら、奇石や古銭や勾玉の収集に夢中でした。

武四郎の肖像写真には、武四郎が集めたたくさんの勾玉をネックレスに
したものが見られます。

山登りが好きだった松浦武四郎は、68歳で三重県と奈良県の境にある大
台ケ原に登ります。

68歳、69歳、70歳と3度にわたる大台ヶ原登山をおこない、その後は富
士山にも登っています。

冒険心を持ち続けていた武四郎は、明治21年(1888年)2月10日、東京
の神田五軒町にある自宅で亡くなりました。

 

 

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ドラマ 永遠のニシパ

この男松浦武四郎(ニシパ)がいなかったら北海道は生まれなかった!

 

あらすじ

 

ぺりーの黒船来航、ロシアの国境画定要求など 江戸幕府は海外列強か
ら開国を迫られる未曾有の危機にあった。

武四郎は蝦夷地をロシアから守らなければならないど決意して蝦夷地を
調査する。

蝦夷地調査はアィヌの人々の案内で行われた。

そして武四郎はアィヌ文化の豊かさやアイヌの人々のやさしさに共感し
ていく。

しかし、やがて蝦夷地を経営している松前藩のアイヌへの搾取略奪の実
態を目の当たりにするようになる。

武四郎はアイヌの女性リセと出会う。

リセは美しく気高く家族を守っているが多くを語らない過去のいきさつ
があり、愁いを帯びた瞳が印象的だった。

武四郎は江戸に帰り、蝦夷地図を出版する。そしてアイヌが搾取されて
いる厳しい実態を告発した。

これに激怒した松前藩は武四郎に様々な妨害工作を仕掛け、遂には武四
郎の命を奪おうど刺客を放つ。

命からがらに追われながらも武四郎は幕府に雇われて、ふたたび蝦夷地
を調査することになる。

 

 

ニシパってどういう意味?

 

ニシパとはアイヌ語で、先生等の男性の敬称・紳士・旦那や親方と言う
意味です。

松浦武四郎(ニシパ)が北海道のアイヌ民族にとっては、紳士的な先生
の存在であり、気を許せる和人として親しまれていたようです。

アイヌの人たちの生活を守ろうとしていた松浦武四郎(ニシパ)ですが、

彼がいなかったら北海道とアイヌは生まれてはいなかっただろう!

 

 

ドラマ 永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎

 

北海道150年記念ドラマ 永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎

この男がいなかったならば、北海道は生まれなかった。

幕末の蝦夷地を調査して、北海道の命名者となった松浦武四郎。
北海道が誕生するまでの知られざる格闘の人生を、4Kでドラマ化した
作品です。

 

放送日 ・・・ 2019年7月15日(月・祝) 午後7時30分

チャンネル ・・・ NHK テレビ 全国放送

主な出演者 ・・・ 松本 潤(松浦武四郎) 深田 恭子(アイヌ女
性リセ) 宇梶 剛志(長老エカシ) 小日向 文世(初代開拓使長官
鍋島直正) 江口 洋介(新政府参与大久保利通)ほか

 

脚本家 大石 静

演出 柳川 強

音楽 梶浦 由記

語り 中島 みゆき

こんなニシパに憧れます ネ!!!!

 

 

もっと詳細に松浦武四郎のことを知りたい! 方は

松浦武四郎記念館 へ Go!!!

 

 

まとめ・感想

 

松浦武四郎がいなかったら北海道やアイヌは生まれてこなかった!のドラマ

観ました!!!

 

松浦武四郎がいなかったら、北海道は蝦夷のままだと思います。

私利私欲で函館藩主は、蝦夷地を牛耳っていたんでしょうね!

このドラマでアイヌ人との共存がないと、北海道は成り立たない事が、

分かります。

本当にこのドラマは感動しました。

 

 

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